高倉健の生い立ち紹介

Nov 10,2020 14:09 pm / カテゴリー:エンターテインメント /

映画俳優として日本国民から絶大な人気を誇り、多くの功績を残してきた高倉健さんが、2014年11月10日に亡くなりました。 都内の病院に入院しており、悪性リンパ腫だったそうです。 享年83歳でした。 本ページでは、多くの人に愛されてきた高倉健さんを悼み、彼の歩んできた生い立ちを紹介させて頂きたいと思います。 特に最近の若い人は高倉健さんがどんな人物だったのかよく知らないと思いますので、これを機に彼のことを知り、彼が出演している映画作品などを見るきっかけになればと思います。

出生から上京

1931年2月16日、福岡県中間市で高倉健さんは生まれました。 「高倉健」は芸名であり、本名は「小田 剛一」と言います。 裕福な一家に生まれ、中学生の頃にアメリカ文化に触れて英語やボクシングに興味を持ちました。 学校ではボクシング部を作り、戦績は6勝1敗とかなり強かったようです。 また英語への興味と英語力を活かし、全日制課程商業科高校を経て貿易商を目指し、明治大学商学部商学科へ進学します。 しかし大学卒業後は思った就職先が無く、故郷へいったん戻りますが、その後再び上京します。

映画デビュー

そして1955年に知人のつてで新芸プロのマネージャーになるため面接テストを受けた際に、居合わせた東映東京撮影所の所長で映画プロデューサー・マキノ光雄にスカウトされ、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社します。 その後採用からわずか1ヵ月半で主役デビューが決まり(これは異例中の異例であり、通常新人は6ヶ月の基礎レッスンやさらに半年以上のエキストラ出演などの修行を課せられていた)、この際にマキノ光雄の知人から「高倉健」という芸名が付けられます。 ちなみに、本人は別の芸名を本当は希望しており、「高倉健」という芸名を最初はあまり気に入ってなかったようです。 そして翌年の1956年、映画「電光空手打ち」で主役デビューを果たします。 これまで演技経験も無く、何のコネも無い無名の新人でしたが、デビュー以後その才能を開花させ、ありとあらゆるジャンルの映画に出演し、一躍主演スターの一人として活躍していきます。

仁侠映画でスターダムに

高倉健さんはそれこそ出演したことが無いジャンルは無いのではないかというくらい幅広いジャンルの映画に出演していますが、中でも有名なのは、やはり仁侠映画でしょう。 1963年の「人生劇場 飛車角」に出演以降、仁侠映画を中心に絶大な人気を得るようになります。 「日本侠客伝シリーズ」や「網走番外地シリーズ」、「昭和残侠伝シリーズ」などがその代表で、特に男性のファンなんかはこれらの任侠映画で高倉健さんを好きになったという人が多いのではないでしょうか。

任侠映画からの脱却

高倉健さんの人気を爆発させたものは任侠映画ですが、当時のハードスケジュールや似たストーリーの映画の量産・出演依頼などから「ヤクザものしか出来なくなる」といった危機感を持ち、1976年に東映を退社します。 そしてフリーに転向した後は、仁侠映画からも離れて様々なジャンルの映画へ意欲的に取り組んで行き、1977年には「八甲田山」、「幸福の黄色いハンカチ」で主演し、第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞します。 その他撮影に3年もの期間を費やした「南極物語」なども有名です。 こうして高倉健さんは、任侠映画に限らず、日本映画界の一大スター俳優となりました。 また日本映画だけでなくテレビドラマやテレビCM(1984年の日本生命CMの「不器用ですから」のフレーズは有名ですよね)なども出演し、他にもアメリカ映画や中国映画などにも出演しており、その人気は海外にまで及びます。 海外でどれだけ人気があるかと言うと、今回の高倉健さんの訃報を受けて、中国では新聞で9ページもの特集が組まれたほどの人気です。 もちろん、中国以外の国でも新聞やニュースで取り上げられており、亡くなったことは残念ですが、世界中で愛されていたことに関してはとても嬉しく感じます。

歌手としての高倉健

高倉健さんは、映画俳優としてだけでなく歌手としても活動しており、シングル楽曲も数多く発売しております。 例えば前述した「網走番外地」(映画と同タイトル)は200万枚を超える売り上げの大ヒットとなっており、他にも「唐獅子牡丹」「時代おくれの酒場」「男の誓い」などヒット曲は沢山あります。 ちなみに最大のヒット曲の「網走番外地」は、発売当初に放送禁止曲に指定されたという経緯があり、何かと話題となった曲なのですが、高倉健さんの死去により発売元のテイチクに問い合わせが殺到し、復刻版の発売が検討されているとの情報もあります。 もし実現すればあの名曲をCDという高音質で聞けるようになるので、ちょっと期待しています。

晩年の映画作品

2006年の「単騎、千里を走る。」の後はしばらく映画出演から遠ざかっておりましたが、6年ぶりの2012年8月に主演作品となる映画「あなたへ」で銀幕復帰します。 これは205本目の出演作となり、そして81歳で主演したこの「あなたへ」が最後の出演映画となります。 「あなたへ」はモントリオール世界映画祭にも出品され、スタンディングオベーションと共にとても高い評価を受けました。 ファンからの評判もすごく良く、Amazonや楽天などでもDVDは非常に高評価を得ています。 もし昔の高倉健の作品しか見たこと無い人は、最後の作品である「あなたへ」は絶対に見て欲しい作品の一つです。 このように高倉健さんとは、日本映画の第一人者であり、日本映画を語る上では抜かすことの出来ない俳優です。

最後に、高倉健さんの生前のTVインタビューから抜粋して、本ページを締めくくりたいと思います。 ―― 高倉健さんにとって映画とは何ですか? 高倉健「僕の全てですね」


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渡辺

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